渡辺一史

こんな夜更けにバナナかよ

北海道新聞社

渡辺一史

渡辺一史

渡辺 一史
Watanabe  Kazufumi

 本のタイトルが風変わりなので、いったい何の本なのかと聞かれることも多いが、「筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」という副題があるとおり、進行性筋ジストロフィーという難病を抱えた鹿野靖明(しかの・やすあき)さんと、鹿野さんを24時間体制でローテーションを組んで支えるボランティアたちとの交流を、私が取材して書いたノンフィクションである。


 筋ジストロフィーは、全身の筋力が徐々に衰えていく難病で、今なお治療法が解明されていない。筋ジス患者の多くが、一生を施設や病院で終えるケースが多い中、しかし、鹿野さんは、どんなに障害が重くても「地域で普通に生活したい」という主張を貫いた人だった。


 とはいえ、「普通に生活したい」といっても、手が動かない、足も動かない鹿野さんは、介助者なしに生きていくことができない。おまけに、30代の頃から呼吸筋の低下にともない、人工呼吸器という器具を装着することを余儀なくされた。


 この器具を装着すると、呼吸器と気管の間に不定期に痰(たん)が詰まるようになり、その詰まった痰を、そばにいる介助者が「吸引器」という機械を使って取り除かなければ窒息してしまうおそれがある。そんな大変な困難も背負っていた。


 とにかく1日24時間、つねに他人がそばにいないと生きていけないという境遇を鹿野さんは生きていた。

■受賞関連

 ⦿第25回 講談社ノンフィクション賞・受賞のことば(講談社『月刊現代』/平成15年11月号)

 ⦿第35回 大宅壮一ノンフィクション賞・受賞のことば(文藝春秋『文藝春秋』/平成16年6月

  号)

 ⦿第35回 大宅壮一ノンフィクション賞・受賞記念エッセイ(財団法人大宅壮一文庫「大宅文庫

  ニュース 第63号」/平成16年7月15日発行)

■新聞報道(主なもの)

 ⦿北海道新聞「ひと2003」(藤田和恵記者)/平成15年(2003)9月12日

 ⦿読売新聞夕刊「気鋭新鋭」(飯田祐子記者)/平成15年(2003)10月3日

 ⦿京都新聞「人物点描」ほか(共同通信社・平本邦雄記者)/平成15年(2003)11月5日

 ⦿毎日新聞「ひと」(井上英介記者)/平成16年(2004)4月24日

 ⦿北海道新聞「ざっくばらん」(松本悌一記者)/平成16年(2004)5月1日

 ⦿読売新聞「」(飯田祐子記者)/平成16年(2004)5月31日

■テレビ、ラジオ出演(主なもの)

 ⦿NHK-BS「週刊ブックレビュー」/平成16年(2004)5月16日放送

  「渡辺一史 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作「こんな夜更けにバナナかよ」を語る

 ⦿NHK-FM「日曜喫茶室」/平成16年(2004)9月5日放送

 ⦿NHK「福祉ネットワーク」/平成16年(2004)9月6日放送

  「“わがまま” と “自立” 〜 「こんな夜更けにバナナかよ」を書いて

 ⦿NHK-FM「ラジオ深夜便」/平成16年(2004)12月1日放送

 ⦿NHK札幌放送局「北海道クローズアップ・不屈の言霊」/平成24年(2012)7月20日放送

  「京谷和幸×渡辺一史 どんな時でも夢を追え

鹿野さんを介助しながら、10年近くにわたって彼を撮り続けてきたアマチュア写真家の高橋雅之氏の写真展にて。

 たとえば、鹿野さんは喫煙者であった。

 もしあなたが障害者を介助をするボランティアだったとしたら、障害者が「タバコを吸いたい」と言い出したとき、どんな態度でそれを受け止めるだろうか。

「タバコは体に悪いから、やめなさい」と言うだろうか。


 あるいは、「世の中には嫌煙権というものもあるのだし、タバコは周囲の人の健康にも害を与えるから吸うべきではない」とお説教の一つでも垂れるのが、介助者の取るべき正しい態度なのだろうか?

 ともあれ、鹿野さんは、病いや障害に攻め込まれれば攻め込まれるほど、異様に「しぶとさ」を増していった。


 どんな困難に見舞われようと、どこかに可能性があるはずだと信じて、「こっちはどうだ、あっちはどうだ」と、もがき続ける。

 そして、小さな可能性をこじ開けるようにして、どこまでも生きていく。メゲない。あきらめない。それが、鹿野さんの「強さ」であり、「たくましさ」の根源だった。


 鹿野さんは、強い面も弱い面も、ずるい面もみにくい面も、すべてを人目に晒(さら)すことでしか生きていけない。ボランティアはボランティアで、そんな鹿野さんとの格闘を重ねながら、気づけば自らの生き方を見つめ直し、人間的にも大きな影響を受けてゆくのだった。


 結局、自分の生きる意味や役割を与えてくれるのは、深く関わった他者でしかない。 「自分って何だろう?」と自分一人で考えていても結論は出ない。


 鹿野さんとともに過ごし、格闘した日々は、そのことを肌身で実感させてくれる歳月でもあった。

撮影:高橋雅之/以下同

ノンフィクションと私 へ

 左の写真は、「第一章 ワガママなのも私の生き方」に登場する看護学校生たちへの研修の一場面。


 普段の鹿野さんは、自分を介助するための「研修」を新人ボランティアたちにビシビシ行い、頼りないボランティアには「帰れ!」と一喝した。


「…感謝されこそすれ、まさか怒られるなんて」

 というのが、ごく普通のボランティアの感覚だろう。

 あるいは、障害者という存在を「弱々しい存在」「保護されるべき存在」と思い込んでいる人にとっては、その「ねじれ」現象に思わず悩んでしまうかもしれない。

 私も当初はそうだった。

 鹿野さんは、そんな難問をごくあっさりと私たちに突きつけるような「障害者」だった。

“美談” からハミ出すもの

「支える」ことで支えられる

 この本の取材を始めるまで、私は「福祉」とか「障害」にはまったく関心のない人間だった。せいぜい「障害者」や「ボランティア」の話といえば、『24時間テレビ 愛は地球を救う』のような “美談” とか “感動ドラマ” のイメージしかなかった。


 ところが、取材を始めるうちに、そうしたイメージがことごとくくつがえされていった。その最たるものが、主人公である鹿野さんの強烈なキャラクターだった。

 鹿野さんほど “美談” の似合わない障害者はいない。

 超ワガママで目立ちたがり屋。介助者に「あれしろ、これしろ」を容赦なく要求する一方で、「もうダメだ。死にたい」などと言い出して、周囲を慌てさせることもしばしばだった。


 また、普通、カラダが動かないと、まわりの人に対して、「お世話をかけて」「申し訳ない」といった卑屈な気持ちになりがちだが、鹿野さんにはそういうところがまったくない。むしろ、「障害が重いこと」を逆手にとって威張っているような雰囲気さえあった。

 『こんな夜更けにバナナかよ』という奇妙なタイトルの意味は、深夜に「バナナを食べたい」と言い出した鹿野さんに対して、その晩、泊まり込みの介助に入っていた学生ボランティアが「いいかげんにしろ!」との思いでつぶやいた言葉からとった。

 その学生ボランティアは、しかし、そうつぶやく一方で、つねに「あれしろ、これしろ」を容赦なく要求してくる鹿野さんの “たくましさ” にも圧倒され、いつしか怒りが消え去ったというエピソードをもとにしている。


 鹿野さんとボランティアとの間には、そうした “葛藤” が尽きなかった。

 私が、この本の取材に取り組もうと思ったもう一つのきっかけは、「ボランティア」に対する興味からだった。

 そもそもボランティアをしている学生や主婦たちは、「いったい何を好きこのんでボランティアしているのだろう」という素朴な疑問があったからだ。


 私はこの本を書く過程で、何十人ものボランティアにインタビューをすることになったが、たとえば、こんな学生ボランティアがいた。大学に入学したものの、大学の授業はつまらないし、自分はどうして大学なんてところに入ったんだろう、自分の「生きる意味」とはいったい何だろう、というような問いにつまずいてしまう学生である。そんなとき、大学の掲示板に貼られていた「ボランティア募集」のチラシを見て、「これだ!」と思ってやってくる。


 鹿野さんのところには、他にも、マージャン三昧の怠惰な生活を「なんとかしたい」と思って来る学生や、あるいは、冷え切った夫婦関係の末に、「夫にとって私って何?」といった根源的な不安を抱えているような主婦もいた。

 そして、「なぜボランティアをするのか?」という問いを重ねる途上で、一人の女性ボランティアがつぶやいた言葉にはドキリとさせられた。


《一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる》という言葉だ。


 結局、この言葉を私なりにどう受け止め、この言葉に対してどんな答えを用意するのかが、この本を書く上での最大の “山場” ともなった。

 ボランティアとは、ヒマと余裕があるからするものではない、という事実を知った。

どちらが「障害者」でどちらが「健常者」か

 私が「障害者介助の現場」で目にしたものは、人と人とが支え合う “美談” でもなければ、善意と共感が渦巻く “感動ドラマ” でもなかった。

 むしろ、そこは、幸・不幸のパイをめぐって、食うか食われるかのシビアな争いが繰り広げられる戦場であった。


 一方の鹿野さんもまた、少しも「不幸な人間」らしいところがなく、したたかにワガママに自己を主張する人だった。頼りないボランティアには「帰れ!」と一喝し、生活上の「あれしろ、これしろ」を容赦なく突きつける。


 彼の欲求は「普通に生きたい」という切実かつ正当な要求なのであり、その根底には、「障害者が介助者にものを頼むのは当然の権利」という思いがある。

 ときに「弱者」であるはずの鹿野さんに押しつぶされるボランティアもいるなど、両者のやりとりは、鋭い対立や葛藤を生む。「愛」と「憎」がない交ぜになった濃密な人間関係がそこにはあった。


 私は取材しながら、いったいどちらが「障害者」でどちらが「健常者」なのか、どちらが「支える側」でどちらが「支えられる側」なのか、わからなくなることがしばしばだった。

トップページ へ

こんな夜更けにバナナかよ

こんな夜更けにバナナかよ

こんな夜更けにバナナかよ

こんな夜更けにバナナかよ

渡辺一史

渡辺一史

渡辺一史

       * 単 行 本

海 道 新 聞 社 /

平成15年(2003)3月刊

 * 文 庫 本 に な り ま し た

文春文庫/平成25年(2013)7月刊

■文春文庫版 関連(主なもの)

 ⦿『こんな夜更けにバナナかよ』文庫解説(脚本家・山田太一氏/文藝春秋・本の話WEB)

 ⦿「『夜バナ』の文庫化」(書評家・荻原魚雷氏評)/ ブログ「文壇高円寺」 /平成25年(2013)7月4日

 ⦿読売新聞「本よみうり堂・ポケットに1冊」(川村律文記者)/平成25年(2013)7月14日

 ⦿文藝春秋(「本の話・新刊を読む」)「『弱い』人」(作家・高橋源一郎氏評)/平成25年(2013)8月号

 ⦿西日本新聞・書評/平成25年(2013)8月11日

 ⦿新刊ニュース(トーハン発行)「哲っちゃんの今月の太鼓本!」(編集者・松田哲夫氏評)/平成25年(2013)8月号

 ⦿朝日新聞「文庫・新書」/平成25年(2013)9月8日

 ⦿BOOK.asahi.com・本の達人「介護を『日常』に 本音バトルの軌跡」(ノンフィクションライター・最相葉月氏評)/平成25年(2013)10月4日